梶井基次郎『檸檬』vs『長ぐつをはいたネコ』
前回、映画『長ぐつをはいたネコ』をおすすめする記事を書きましたが、そこに書こうとしてやめた、「書きたいけど長くなるしこの映画とそんなに関係ねぇ!」なことを書きます。
『長ぐつをはいたネコ』 ~お前が息絶えるまで踊ってやる~ - OH! 犬のふぐり
僕は新潮文庫で梶井基次郎の『檸檬』を読みました。「檸檬」をはじめとする短編が20話入っています。その中に「愛撫」という短編があります。もう少し正確に記事タイトルを付けるならば、
短編『愛撫』vs 映画『長ぐつをはいたネコ』、となります。
↑ この表紙の前のもので読みました。おそらく収録されている短編は変わらないと思います。
あと青空文庫で読めます。無料です。
以下、ネタバレかどうか微妙ではありますが、それぞれの内容にふれます。
赤コーナー
梶井基次郎の短編「愛撫」で、
猫の爪をみんな切ってしまうのである。猫はどうなるだろう? おそらく彼は死んでしまうのではなかろうか?(中略)
爪のない猫! こんな、便りない、哀れな心持のものがあろうか! 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った天才にも似ている!
と書かれています。
青コーナー
映画『長ぐつをはいたネコ』のヒロイン猫:キティ・フワフワ―テ。
↑ 左の黒猫がキティ・フワフワ―テ。
フワフワ―テは人に飼われていたころ、爪を切られてしまいます。「人間のやることは理解できない」と長ぐつをはいたネコことプスもフワフワ―テに同情し嘆きます。
おそらく映画の表現上、「爪を切られた」と字幕で書かれていますが、危険な場面でも爪をまったく使わないところを見ると、「爪を抜かれた」のだと思います。
梶井基次郎 vs キティ・フワフワ―テ
ここから完全に純然たる妄想です。おそらくここまで読んで下さった方はお気づきのように、僕は「フワフワ―テの爪を抜いたのは梶井基次郎だ」という妄想が止まらないわけです。ついにやっちゃったか、と。(やってない。)
あなたは『愛撫』の中で
柔らかい蹠の、鞘のなかに隠された、鉤のように曲った、匕首のように鋭い爪! これがこの動物の活力であり、智慧であり、精霊であり、一切であることを私は信じて疑わないのである。
と書かれていました。それなのに! やってしまったのですか。(やってない。)しかし、フワフワ―テはその爪の無くなったフワフワの柔らかい手を活かし、スリの達人になりました。あ、スリの達人になった点は褒められたことではないかもしれませんが、その話は銀河の彼方に置いといてください。
猫にとっての一切であると思われた「爪」。爪を無くしてもそれを逆手にとって特技を身につけ、強く生きてきたキティ・フワフワ―テに幸あれ!
以上、妄想にベーキングパウダーをさっくりと混ぜて、ぐりとぐらのカステラくらい大きくしたものが主食の左の金たま的妄想とそれに伴うフワフワ―テへの称賛でした。なんだこれ。